コラム「先代の治療論」

病気について

ここでお話させて頂く 「病気について」は腸チフス、コレラ、赤痢、インフルエンザ、その他の細菌性による急性伝染病や急性アルコール中毒、ある種の食物によって起きる急性中毒などの病気を対象にしているものではありません。あくまでも日常生活の中で、生活習慣によって引き起こされる肉体的、精神的疲労から生じる病気 を主体としたものです。その為「病名は何々ですから治りますか」 「このような病気は治りますか」というような平面的な考え方ではないのです。『基本となる人間の生命エネルギーの調和を崩せば誰もが病気になる』という事実なのです。

健康には肉体・精神そして霊気という三つの柱があり、社会生活や日常生活を営む上でその三つが上手に調和され、そして自発的・ 自主的な行動によって、自分の力を発揮している事が真の健康であると表現されても過言ではありません。その状態こそが、本来与えとなられた人間の姿だと私は考えているのです。しかし、残念な事に私は、今迄その様な方には数える程しかお会いした事がありません。自分を知り維持していく事の難しさをまざまざと知らされます。ですが、この世の中には真の健康を維持されておられる方がいるわけですから、私達の大きな指針として、本来あるべき人間の姿に少しずつ近づく為に邁進すべきだと思うのです。

「ところで、貴方はどのような病気になりたいですか?」『随分傲慢な言い方だ!』と思うでしょう。そうです!あえて挑発しているのです。これからの時代は物質の世界から精神の世界へと、更に拡大解釈すれば霊界あわよくば神界の世界へと、自分の魂 (生命)を向上させてゆかなければならない時代に少しずつではありますが、進んでいくと思うのです。そのように気づいていかなければ、私達の生活は更に潤いをなくすでしょう。

20世紀は物質を主体とする世界でした。これによって交通機関が発達し、各国間が近くなり、私達の日常生活も非常に豊かになりました。本当に便利な世の中になったと思います。しかし、その反面、自分達の命を縮めていることに気がつかないでいます。大気汚染・土壌の質の低下・水の汚染が生じる問題等、各自は生命の維持に欠く事の出来ないものであることを本当に思っているのでしょうか。更に、目に見えない世界があることに目を向けていくようにしなければ、心の潤いを失った人達の居場所は何処にあるのでしょうか。このままでは、自殺者の数も減るどころか増えていくことにもなりかねません。

近頃は特に生きる意義を忘れ、心の大切さを疎かにする傾向を強く感じるのです。目に見えないからこそ注意や反省がより必要なのであり、それを無視するかのような生活は知らず知らずのうちに鈍感となり、感じる世界、そして感じる事によってその刺激から醸し出される知恵をも活用できないで、悶々とせざるを得ない生活が増 えているのです。この様な事情を目の当たりにした時、どうしても「貴方はどのような病気になりたいですか」と私は言いたくなってしまうのです。

もし、貴方が ‘生活習慣病を患いたい’のなら、毎日の睡眠は3 ~5時間とし、3食に費やす時間は合計1時間位、 残りの時間は総て仕事に従事してみてください。 そして、その仕事の内容は様々でしょうが、上半身を主に行う作業を最低でも20年以上行なってみてください。余裕のない生活、そして創造性と心のゆとりのない生活をしているなら、必ずあなたに病気が待っています。
もし、貴方が‘子宮筋腫‘になりたいのなら、毎日、朝昼晩の3 食に牛乳を主体とした高カロリー・糖質などの食べ物を摂り、座る時は横座りを、そして、自己表現をしたいのに口も出せない生活環境での暮らしを20年以上やってみてください。
もし、貴方が「アルツハイマー病になりたいのなら、毎日ああでもない、こうでもないと解答の得られそうもない心配事を頭の中で駆け巡らせ、熟睡のとれない毎日であれば肩が凝り、やがては脳細胞が酸素不足となる様な生活をしてみて下さい。必ず60代70代 になった時に病気になり、一日の生活が長く生気を失っていきます。

今、皮肉っぽく病気になる可能性を書いてみましたが、各自の生活習慣の中で過度の疲労の蓄積があり、その蓄積した所が改善されることがなければその結果、必ず大なり小なりの病気になります。このように誰もが似たりよったりの生活をしているわけですから、 何をどのように改善すべきか気が付かなければならないのです。
(つづく)